私の家は、貧乏だったためか両親が封建的だったためか…いや、その両方だったため、高校2年生の時までCDラジカセが無く、アルバムはLP盤かカセットテープで聴いていました。中学生の頃から世の中がアナログからデジタルへ急速に移行していた最中です…約20年くらい前でしょうか。どうしてもラジカセを買ってほしくて、聴けもしないのに何枚かCDを買って、間接的にアピールしてみたりしました。そして、いよいよ根負けした両親は、妹の高校の入学祝にラジカセを購入。そのとき初めてかけたのは坂本龍一の『NEO GEO』というアルバムでした。何故かTowerRecordで買った輸入盤…日本版よりも少し安かったからだったと思います。買った日に両親や妹と共に居間で聴きました。流麗で憂いのあるピアノ曲「before long」から始まり、ファンクと沖縄民謡をミックスしたタイトル曲「NEO GEO」、イギー・ポップの低音が渋い「Risky」…坂本教授のワールドミュージック路線が本格始動した中期の名盤『NEO GEO』。初めて聞く坂本龍一の音楽に親は良いとも悪いとも言いませんでしたが、ほかに数枚買っていた中で刺激が強くない教授の『NEO GEO』を買っておいたことは正解でした。“初めて買った”そして“初めて聴いた”という意味で『NEO GEO』は思い出深いアルバムです。
誰かという問いの中の上位には必ずといっていいほど、坂本龍馬がいます。日本人で知らない人はいないと言っていいほどだと思います。来年のNHK大河のドラマも坂本龍馬の物語に決まっていますね。さて、維新後この坂本龍馬を表舞台に立たせた人物に田中光顕という人物がおります。司馬遼太郎の「竜馬がゆく」を読んだ人や歴史ファンの人はご存じだと思いますが、彼も高知県出身で幕末、龍馬の盟友中岡慎太郎率いる陸援隊の副隊長になりました。あの薩長同盟の成立にも尽力しています。維新後、彼の証言によって当時の雰囲気が伝わります「尊皇攘夷といえば今で言えば夜盗・強盗のように思われていた」と語っています。そういう状況の中で明治維新は行われたのです。維新後は宮内省の第三代の宮内大臣にもなりましたが後に収賄疑惑で政界を引退します。引退後、郷里の佐川町には、維新志士達の足跡を残すための記念館を作り、彼の号をとって「青山文庫」と名付けられました。現在も歴史マニアには少々有名な記念館だと思います。また、桂浜の坂本龍馬像の建設にも尽力するなど数々の文化的事業を行っています。母は昭和初期の生まれですが、「田中伯爵が汽車で凱旋帰郷した時に出迎えて、その際小学生全員に鉛筆が贈られて、大変うれしかった」と語っていました。維新後に何度か坂本龍馬の活躍が登場するのですが、一番最初に登場させたのは、我が郷里の偉人、田中光顕伯爵公だったのです。彼なしには坂本龍馬は今のように脚光は浴びなかったかもしれません。
私の実家は信州です。実家に帰ると両親を連れ出しては蓼科・白樺方面へのドライブをしました。あのビーナルラインからの眺めは正に絶景かな!の表現がピッタリで、何度行っても飽きる事はありません。其処まで行き着く途中にある牧場での、作り立てのミルクとアイスクリームの美味しさにも舌鼓を打ちました。湖畔でボートに乗ったり、牧場の牛と戯れたり、子供達も夏休みの一日を夏の高原の香りに包まれた一時をおばあちゃん、おじいちゃんと過ごしたものです。今、あのビーナルラインの八島ヶ原湿原で撮った両親の二人の写真を部屋に飾ってありますが、当時は中に入る事が出来て撮る事ができましたが、今は、植物を荒らされる事など心配して出入りが禁止されてしまったらしい事は残念です。あの辺のレストランの脇で売られていた焼きとうもろこしの美味しかった事、あの空気がまさにその味をさらに引き立ててくれているような気がします。高原の爽やかな風と空気、回りの全ての景色がまた新たな英気を養ってくれるようなそんな一時でした。あの澄んだ青空と風は夏の一時、何よりのご馳走のような気もします。こう書いていると、是非また来年の夏にはあの辺りをドライブしたくなります。